ポエジィ墓場の棺桶屋

どっちだっていいし、僕には大したことじゃないよ。

近況報告(あるいは自由への呪い)

 どうもブコメだけヒット率が高いグースピカーです。京都から彼女の地元への入居申し込み審査に二週間かかった上に審査落ちを喰らうウルトラCをやってのけて毎日やることがないので投稿しました。「6月1日に京都を出る」と宣言し何年も続けたバイトもやめて店長や同僚、旧友、常連さん達に飲みに誘われてプレゼントまで頂いた中で未だこの街で過ごさねばならず、どんな顔をして生きていればいいのか分からない所存でございます。しかしながら数少なくはありますがここに来て下さっている皆さんのアクセス数がこの心の空白を埋めてくれています。ご声援ありがとうございます(ブログPVは二週間で大台の40を突破しました!)


 ここにいる人達ってこれが自虐だって分かるよね?心配事ってそれだけなんですけど……


 やることもやってることもないから特に書くこともない。ここに現実の匂いのするものは書けない。そんな時に人間に何があるか。空想、妄想といったものだ。イマジン。目を瞑ればそこに自由がある。自由を受け入れない自由もあるが、受け入れる自由を選ぼう。そもそも自由は自由という言葉の内に収まってしまったならそれは自由そのものを大きく制約してしまうものではないのかしら、なんて考える自由を謳歌しつつ、チェ・ジウの自重でGU自由落下、とかいうクソみたいなフリースタイルダンジョン系ダジャレで自由を食い潰す。贅沢だ。これこそ贅沢というものだ。親父ギャグは貴重な自由を惜しげもなく食い潰せるという意味では中年の出来る数少ないそれも最高級の贅沢かもしれない。高級な車を乗り回し買い替え続けられるのが贅沢であるように。自由の貴重さを考えればそれ以上かも。親父ギャグの不快さというのは、それに付き合う自分が貴重な自由を他人の身勝手な贅沢で食い潰される所にあるのかもしれない。


 話は変わるが呪いって信じてます?僕はタバコを吸っていて、なんと引っ越し審査落ちマンの癖してヴィトンのタバコケース持ってるんです。そいつはある日家で工具を探していたら偶然発見し、とりあえず持ち主も分からぬまま母親にもらっていいか聞いたところヴィトンにも関わらず「ええよ」と即答。無茶苦茶喜んでいたら母親が続けざまに「けど…」と暗い声。どうしたのか聞くと、そのタバコケースは20年ほど前に女友達から「いらないからあげるね」と譲り受けたそう。くれた理由は最近別れた元カレのプレゼントだったから。だから持っていたくないと女友達は言ったと。なるほど。そういうこともあるかなと。それから間も無くして元カレは自殺をしたそうだ。え。だからおっかなくて使ったことがないという。だが僕は迷わず貰った。何故なら遠距離の彼女の下へとうとう引っ越しすると決めていたし、ある意味、大層に言えば人生を賭けるのだから彼女を失ったら死んでしまう気持ちでいようと呪いのお守りにすることを決めたのだ。だから僕は人生で初めて呪いを信じている。名前も顔も知らない全く自分と関係ない死んだ元カレのタバコケースの中に、ラークトロピカルメンソールを入れながら……


 と言うわけで(どういう訳だ?)そろそろお開きにしよう。ここまで読んで下さった酔狂な方々へ、それでも何も与えられないまま……