ポエジィ墓場の棺桶屋

どっちだっていいし、僕には大したことじゃないよ。

大喜利或いはブコメ養成講座1

今日は笑いの(あくまでピンポイントな)ロジカルの部分の解説をしたい。野暮だとは思うが、野暮を気にする時代でもないので。先日、はてなブックマークでこの記事にコメントを残した。


http://omocoro.jp/kiji/83042/
【世界初】大喜利ができる人工知能の開発者に会ってきた | オモコロ


コメントの内容はこう。


afieldof15 のコメント / はてなブックマーク
http://b.hatena.ne.jp/entry/289855542/comment/afieldof15


大喜利にはロジカルな答え方がある。それはあくまで一つの答え方に過ぎないが、センス(飛び抜けた発想)がなくとも考えれば捻り出せる答えがある。そのいい例がこれだ。解説していきたい。

 


笑いの基本にはフリとボケの流れがある。緊張と緩和に言い換えてもいい。ついでにツッコミはそれをフラットに戻す作業だ。簡単にいうとテーマを設定し(フリ)、その正答とは線で繋げることが出来る限りの正反対の出来事(ボケ)を言う、あるいは起こす。ツッコミはそこで起きたズレを良識ある第三者がフラットにし、次のフリに移しやすくする。そんなところだ。それを踏まえて今回のお題だ。


「90歳のおばあちゃんがネットで人気者に、何をした?」


このお題を見た時にまずやることは、どのワードが一番フリとボケをやる中で振れ幅が大きいかを考えることだ。記事内でインタビュアーは「ネットで人気者」というワードに焦点を合わせたものの、90歳のおばあちゃんを活かせず上手くいかなかった。かたや人工知能大喜利βは「90歳のおばあちゃん」に焦点を合わせた。「90歳」という気の遠くなるような歳月を、「おばあちゃん」という基本的に枯れてる筈の性をフリにした。その答えが「性転換」というシンプルかつ深いボケである。考えれば考える程に普遍的な「90歳のおばあちゃん」が可能な限り各々の中でイメージの真逆まで変化していく。まず90年我慢しなければならなかったのか、目覚めたとしたら90歳で何があったのか、急におばあちゃんをおじいちゃんと呼ばなきゃいけないのか、おじいちゃんとの関係性はどうなるのか、てかアソコ生やすの?服は?口調は?などなど聞いた人達が生み出すあらゆる何故と今更。この実現可能な大きな乖離がその場の笑いに繋がっていくのだ。そしてこれだけ普遍的なイメージから乖離していれば、ネットだろうがテレビだろうが人気者になることも容易い。ロジカルな考えのボケとしては一つのエレガントな正解だろう。


ちなみに「ネットで人気者」に焦点を合わせたとして出来るロジカルな答え方もある。例えば「葬式のクラウドファンディング」とか「好きなことで、死んでいく」なども間違いではないだろう。おばあちゃんとはかけ離れたネットらしい若者向けのイケイケな横文字や標語を使うのがいい。ただ、そこまで浸透していないワードでもあるので無難に90歳のおばあちゃんに焦点を当てた方がインターネットを延々考えるより楽だし強い。


もちろんこれは大喜利というモラルが低く対象が架空のキャラクターというシチュエーションの中に閉ざされてるからこそ出る笑いであり、現実のネットで90歳のおばあちゃんが性転換してネットに出て来た時に笑ったりする訳ではない。そこは分け隔てて頂きたい。尊厳はその方向性を理解した上でできる限り尊重すべきだ。大喜利ブコメ?自分としては基本的に他人の尊厳を平気で欲望によって傷つけた奴のとことかジョークをしっかりジョークとしてやってるとこにしか行ってはないかな。だから僕がいい人な訳ではない?その通り。でも対象のその人は大喜利のお題としていい免罪符になってしまうんだよ……

 


今日はIPPONグランプリがある。それを録画しといてゆっくり見て、もし気が向けばいかにあの芸人達がプロ中のプロかをざっくり解説したいと思う。彼らとセミプロ(大喜利サイトで上位・ラジオのハガキ職人)にどうして差がつけられるのかというのも書きたい。