怖いおじさんのブログ

どうも🤗私が怖いおじさんです🥴

映画「ジョーカー」のごく個人的な感想

  注意として一部ではありますがネタバレは含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジョーカー観てきました。前提として予習でダークナイト観た上でジョーカー観たことをお伝えすると共に、少し比較としても出していきたいと思います。監督も違うので違う作品なのは当然なのですが、何にフォーカスして作られてるかも比較出来るかなと。あとは原作未読故にコミック要素一切分かりませんすみません。宜しくお願いします。

 

 

 

   今回のジョーカーは、宣伝などでは「心優しい彼が何故悪のカリスマになったのか」と銘打たれてましたしそれを聞いてどう狂気の怪物に変わるのか、という観点をもって変化と展開を見ようとしましたが、そこが1番意外に思った所かもしれません。自分の勘違いに気付かされた。彼は驚く程に、社会に、自分に、従順だった。それだけだった。ダークナイトでは彼の起こしたことが強く社会や市民達に反映され社会的現象を引き起こす存在としても描かれましたが、反逆だとかそういう訳ではなく、如何に社会や環境から自分の心へと従順になるか、という流れを見せる物語だったのが意外でした。よくよく考えればダークナイトもバッドマンへの異様な執着心のみで動いており、計画や社会現象を引き起こすことには興味のない、しかしバッドマンという腹立たしくも魅力的な乱暴な正義に関わるためのツールだったのでしょう。そう考えると一貫性がある。今作よりは大きく正義と悪、善意や悪意や欲望を皆に問うてはいますが。

  今作で彼が起こした最初の事件は、全くの偶然から始まり、それが偶然社会に繋がり、自らの環境に繋がり、次の事件に繋がり、しかしその全てに従順に行動しただけでした。完全に受け身なんですよね(警察に出頭はしなかったですが)。まずそこが面白かった。秩序の中では立派な悪を成すとはいえ、彼に感情移入するシーンも多かったでしょうし、スタンダップ・コメディの部分なんか晒されたとこも含めて顔を覆いたくなるような悲惨さでしたが、ダークナイトのジョーカーとは違い自発的に悪を成そうというのがまずない。そこは大きい。如何に社会や環境や人が彼をとことん追い詰めるかにフォーカスし、どんな残酷でそれが当然の流れで彼に襲いかかってくるかというのもしっかりしてた。職場にしても、人生に希望をくれたコメディアン(ロバート・デ・ニーロみのもんたに見えるような不快指数高めの演技が良かったです)にしても、家庭環境と服薬量と市の支援の打ち切りにしても、ウェイン産業の社長とエリート3バカにしても、彼が愛を求めた貧困層のシングルマザーにしても、それら全てを背負うことにはならなくとも、我々に起こりうる(或いは起きた)裏切りの出来事としては、要素としても繋ぎ方も丁寧ではなかったかと思われます。刺激的ではなかったですが。条件さえ合えば我々もまたジョーカーになりうるのではないか?というものをある程度リアリティを以て迫ってきたのではないでしょうか。もっと言えば、マズローの欲求を丁寧に全て崩していった先の成れの果てが、ジョーカーの生き様しか残さなかったのではと。政治関係なく、自らを裏切った人間を許さない。いわゆるヤクザとかマフィアと一緒ですよね。彼はたまたまカリスマになれた。

 

 

 

 


  この映画で印象に残ったのは、彼が全てを失ってからジョーカーになった時の開放感でした。観客は悪になった彼に誰も不快感を抱かなかったのではないでしょうか。演出と構成の妙を感じましたね。予告編でも出てる階段降りながら踊るシーンは不思議と気持ちが良かった(彼がジョーカーになる前は何度も暗い出来事を背負いながら何もない空だけが写る画に登っている演出だった)。ここら辺がアメリカが危惧してるとこなんでしょうね。事情があれ悪いことした奴を観客がほとんど肯定してしまうくらいの強烈な演出。それも相手がダークナイトで大活躍し現実に銃乱射事件を起こさせた、自分の心に従うジョーカーなら。面白い話で、ウチの彼女に感想を聞いたら「ダークナイトはいい人もたくさん死んで辛くなったけど、ジョーカーは『撃て!!』ってタイミングで悪い奴撃ってくれてスッキリして面白かった」と言ってて、でも確かに要約すればそんな話でもある。自分を裏切った者を自分の心に従い殺す(優しくしてくれた小さい人は逃したでしょ?あの人殺してたらおじさんはこの作品をボロックソに叩いていた)。これだけ書けば酷い話を、ただ個人の問題だけでは見事に終わらせなかった。社会問題も巻き込んだ。それもゴッサムシティはニューヨークやワシントンがモデル。アメリカは「厄介だ」と思うでしょうねそれは。

 

 

 

  あと細かい話。精神疾患や細かい妄想や曖昧なオチ辺りについて、ジョーカーは見て分かる分ではトゥレット症候群とうつであり、もし妄想が描かれたとすればソフィーにキスするとこと母親の精神病院にいた彼くらいかな。幻覚を見る病気は描かないと思う。他作品への影響は留める紳士協定みたいなのあるので。ソフィーの最後の「お母さんを呼ぼうか?」というのは、ただ単に夜の営みや愛の強烈な否定だと思う。ヤレない女はそれくらいする。知らんのか。そもそもあんだけ警察騒ぎがあって母親が入院したのくらい伝わるやろ。あのクソ女。殺したかは知らん。子供もいたし、自分のような境遇にはしたくなかったかもしれんし。

  後はオチの診察室と、序盤の頭を打ち付ける診察室。あれは確かに時間軸が示されていない、唯一あの監督の卑怯な演出だったと言っていい。ただジョーカーに関してはバッドマンに出会うまでの長い空白期間があるので、そこで説明が片付けられるという仕組み。ジョーカーなら何度か捕まっては脱獄してもおかしくないし。ていうか調べたら監督が「この作品は原作から独立してる」なんて言ってやがる。逃げ道多いな。じゃあ全部妄想って言ったったらええよ。ええい全て妄想。ダークナイトは1個も無駄にせず逃げなかったってのに。そのコメントは残念だな。

  音楽。ここがあからさまにやり過ぎたとは思う。分かりやすすぎる。そこまで分からせたいか、という演出だった。良質な音選びだったが、あまりにジョーカーに寄り添い過ぎてるとは思った。まあそもそもジョーカーの映画だし、それが大多数の人をジョーカーに感情移入させるベストな方法なのかもしれんけど。もっとシリアスな無音地帯が多いと思ってた。

  演技。ジョーカーを演じるホアキン・フェニックスは抜群の、出色の出来だった。脚本はアカデミー賞行けないかもしれないが、ホアキン・フェニックスは主演男優賞を狙えるはずだ。血走る目、深い隈、カサカサの肌、アバラの見える不健康な身体、理性と怒りのさじ加減、病的な振る舞い、役作りは完璧に仕上がっていたのではないか。この演技を見る価値は間違いなくある。あとロバート・デ・ニーロ、ホントに腹がたった。あの司会者ホントに嫌い。めちゃくちゃ嫌いああいうやつ。みのもんた嫌い。ホント嫌い。

 

 

 

   くらいかな感想は。お疲れ様でした。星5つで言ったら3.5くらいの映画でした。中の上。面白かったです。